段階を経て仕事に復帰、自分のペースでキャリアを形成しています
新潟大学医歯学総合病院八木千裕 先生福島県会津若松市出身・平成21年 新潟大学医学部医学科卒業
現在のお仕事について教えてください。
新潟大学医歯学総合病院の耳鼻咽喉科・頭頸部外科で勤務しています。下の子を出産後、1年間の育休を取得し、6か月間のパートタイム勤務を経て、今年の4月からフルタイム勤務に復帰しました。勤務内容としては、他の同世代の先生方と変わりなく週2回の手術と病棟中心の勤務ですが、時間的な制約から長時間にわたる手術は担当しておらず、日当直も免除してもらっています。周囲の先生方に支えていただいて、今は子育てを優先させてもらっています。下の子どもはまだまだ手がかかるので。
お子さんはお二人ですか。
はい、長女は6歳で次女は1歳です。長女は小学生になり手がかからなくなったところもありますが、これまでとは違い、勉強や提出物などのフォローや、学校行事などもあり、戸惑っているところもあります。私も夫も勤務医で忙しいという状況をよくわかっていて、わがままは言いませんし、妹の世話もしてくれます。ありがたいなと思う反面、申し訳なく思うことも少なくありません。
長女を妊娠したのは耳鼻咽喉科へ入局して1年目、医師として経験不足な時期だったので、早く現場に戻らなくてはと気が急いて、1年間の育休後にフルタイムで復帰しました。それが想像の何倍も大変でした。家事も育児も仕事もすべてにおいて時間がなくて、ずっと身体が二つあればいいのにと思っていました。夫は休日には手伝ってくれましたが、外科医なので日々は頼めない状況。2年間頑張ったのですが、身体的な疲れと精神的な負担に、もう休職しようかと思うようになっていました。
それでも仕事を続けられたのですね。
上司や周囲の先生方の理解と協力のおかげです。実は、夫の山形県内への赴任に同行するタイミングで、休職しようと思っていることを上司に伝えたところ、「今後のキャリアを考えるなら、何らかの形で医師は続けたほうがいい」と言ってくださり、さらに赴任先の上司にも伝えてくださったんです。そのおかげで、山形ではパートタイムでの外来勤務ができることになり、時間的な余裕が持てました。
それでも、初めての場所で年少の子どもを抱えての共働きでしたから、目の前の仕事でいっぱいいっぱい。でも、ある時にふと「悩みながらでも私は続けている」と気づいたんです。そして、もう一つ気づいたのは、続けられるのは、上司だけでなく、同僚、後輩の医師や看護師、スタッフのみなさんのフォローがあるからだということ。感謝でいっぱいです。いつか私も恩返ししたいと思います。また、言うまでもないのですが、患者さんからの「ありがとう」も大きな支えです。だから、耳鼻咽喉科医を続けていこうと決意を新たにしました。
耳鼻咽喉科を志されたのはなぜですか。
大学5年生の病院実習の際、耳鼻咽喉科の手術に興味を持ち、6年生ではここに絞って実習しました。小児から高齢者まで対応でき、診察から内科的治療、外科的治療までできるという、いろいろな意味での守備範囲の広さに惹かれました。また、この実習の時に、患者さんや同僚に頼りにされている女性医師に出会ったことも大きいです。こういう医師になりたいという、目指す像ができました。
今後の目標について教えてください。
新潟県大学医歯学総合病院は、新潟県全体の医療を担う場所です。難しい症例が集まり、また、教育や研修の場として多くの医療者も送り出しています。そういう場にいる覚悟や緊張感を持ち、努力し続けてきたいと思います。患者さんや同僚、スタッフから信頼を寄せてもらえるような、そんな医師でありたいと思っています。
後輩の女性医師へのメッセージをいただけますか。
私自身がまだ手探りで、参考になるようなことは言えないのですが、私が続けていられるのは「今の仕事が楽しいから」の一言に尽きます。やりがいや多くの出会いが、仕事の楽しさや達成感を感じさせてくれます。
私は耳鼻咽喉科を選びましたが、どういう診療科を選んでも、患者の健康を守るという医師の目的は同じです。ですから、診療科そのものだけでなく、そこで働く人、指導者や先輩方で選ぶのもいい方法ではないかと思います。憧れの対象があると、力が湧きます。私はそうでした。
今も日々焦ってしまうのですが、そういう時、先輩方は「医師は長い人生をかけて打ち込める仕事だから、焦らなくていい」と言ってくださいます。その言葉をみなさんにお伝えしたいです。休んでもセーブしてもいいと思います。休んだ後、すぐに取り返さなくちゃ、ではなく、10年先に取り返せたらいい、と考える。人生はそれぞれ違うのですから、自分のペースでキャリアを作っていくことを考えてください。
(所属等は執筆時現在です。)