南野徹 先生
新潟大学医歯学総合研究科 循環器内科学 教授
(平成27年5月21日インタビュー)
南野先生の臨床家としての鋭い眼差しと、深みのある素敵な声で、
ゆったりと和やかな雰囲気の中進んだインタビュー。
白衣を脱いだ「いろいろな」素顔に迫ります!
町のお医者さんになりたかった!
医師になられたきっかけや理由を教えてください。
南野:僕が医師を志したのは小学校3年生の時です。両親は医師ではないんですけど、祖父と伯父が医師をやっていて、クリニックを開いていたんですね。そこで往診や診察風景をみていて、子供心に憧れて医師を目指そうと思っていました。僕の最終的なゴールはいわゆる開業医だったんです。地域医療ですね。くしくも違う形で関与することになりましたが(笑)それが医師を志した理由です。
もっと小さな頃はパイロットになりたかったです。でもパイロットになるには裸眼で一定以上の視力が必要で、僕は目が悪いので、すんなりあきらめました。ちなみに、このことは息子には伝えていないはずなのですが、息子がパイロットへの道を歩み出すことになりました。
いろいろとやりたかった研修医時代~
思い出深い症例まで
研修医時代のことを教えてだくさい。
南野:僕は一般的な内科医になりたかったので、卒業して循環器内科を選びました。循環器の研修をしていましたが、他の内科も学びたかったので、胃カメラをやったり、腹部エコーをやったり、麻酔科もまわりましたね。ちょっとずつ、つまみ食いしてました。外科は回らなかったです。外科医への憧れはありましたが、やはり目が悪いのがネックで。しかし循環器内科医もペースメーカーの埋め込みやカテーテル治療などの手術もありますから、その点は外科寄りの内科と言えるかもしれません。当時は循環器を選ぶと循環器の研修しかできなかったのですが、初期研修から後期研修の合間にも他の内科の先生に頼んで、いろんなことをやらせてもらっていました。
後期研修の2年目か3年目の時に比較的循環器専門の救急病院にいて、そこで家族性の拡張型心筋症に出会い、30代の兄弟を担当しました。当時はこういった病気は遺伝するという概念がなかったので、本当に驚きました。あきらかにそっくりな病態で。まぁ、顔もそっくりなんですけどね(笑)そういった患者さんを受け持ったことが、病気に関わる遺伝子の研究をやってみたいと思ったきっかになりました。
研究生時代からボストン留学時代の食糧事情まで?!
研究生時代の様子を教えてください。
南野:学位を取る方法は2通りあって、大学院にいって学位を取るか、論文だけ書いて学位を取るか、なのですが、僕は大学院に行かずに研究生として東京大学の循環器内科の先生にお願いして研究させていただきました。
本当は心不全の研究を希望していたのですが、大学側の都合で、動脈硬化の研究をすることになり基礎的な研究をして学位を取得しました。本来の目的の臨床に戻ろうかと思ったんですが、基礎研究が思いのほか楽しかったので、自分でやりたいことを見つけて続けたいと思うようになりました。それこそ一生を通して研究できるものを。あの頃はインターネットなんて無かったので、図書館に通って調べ物をしました。
そこでふと目にしたテロメアに関する総説が大変興味深く、これだ!と思いました。これを循環器分野で研究できる施設を探したところ、その頃のテロメア研究のほとんどは、がん細胞で行われており、血管の研究は行われていない状況でした。いろいろ悩みましたが、自分の実力を試すためハーバード大学で血管を専門に研究している教室にサブテーマとしてテロメアを研究させてもらえないかお願いしました。すぐに快諾していただき、ボストンのハーバード大学への留学がきまりました。
留学先での研究の様子やエピソードはありますか?
南野:そこのラボは血管の研究をメインにやっているところなのですが、血管老化を研究したり、血管新生を研究したり。真逆なことですけれど、3年ほど研究していました。そこでは給料を少しだけもらっていたのですが、安くて3万ドル程度でした。子供も一緒に一家4人で行っていたので、節制した生活を送っていました。ただ、アメリカではグリーンカードを持っていない留学生にも生活補助制度がありました。お金はダイレクトにいただけなかったのですが、食べ物のクーポン券をたくさんいただきました。卵や牛乳、シリアルを毎週食べきれない程もらいにいっていましたね。これらの制度を申請しに行ったときに、書類のなかにアンケートがあったのですが、「最近以下のもので食べたものがありますか?」という質問の回答に、「紙」や「砂」などの項目があり、驚いたのを覚えています。
研究に明け暮れた生活でしたが、ボストンはとても素敵なところで、石畳や煉瓦造りの建物、ガス灯などがあり、まるでヨーロッパの様な街並みなんです。それだけで絵になる風景がたくさんあります。僕の一番好きな街です。
帰国後の経緯を教えてください。
南野:ボストンでは3年過ごしました。その3年間では研究はうまくいかず、研究に向いていないのではないかと悩みました。帰国当初は千葉大学の関連病院に勤務して、臨床の勘を取り戻すために、毎日カテーテル治療をなどにいそしみ、臨床医として過ごしていました。それからは初心にもどり開業しようかと思い、広い内科知識を学びたいと思いました。
そんな矢先になかなか受理されなかった留学中の論文が通ったんです!それでちょっといい気になって(笑)また研究が続けられると喜び、母校の千葉大学に戻りました。こつこつと留学中のテーマの論文を投稿しつづけ、やっと日の目を見ることが出来ました。大学では研究のみならず臨床、教育と多様な仕事をしていましたが、いろいろな方々と接していくうちに、いろんなことが楽しい、面白いと思うようになりました。そして今、新潟にいます。
無趣味は多趣味?素敵な息抜き方法まで
趣味や息抜き方法を教えてください。
南野:極めて僕は無趣味なのですが(笑)、いろんなことに手を出すのが好きで、学生の頃は複数のサークルに所属していて、テニス、スキー、スキューバ、ヨットなどをやっていました。スポーツに関しては一つのことにこだわることはないですね。音楽は、それこそなんでも聴きます。クラシックからジャズ、娘が聴くようなポップスや、ソウル、アメリカやヨーロッパの ポップスまで。本も新書から流行の推理小説まで。
あと最近は、趣味とはいいがたいですけれど、妻と一緒に酒を飲みながら議論することが楽しみですね。酒はワインが多いです。新潟の日本酒は白ワインのようなテイストもありますので、たまに日本酒も交えつつ。妻は僕の仕事に理解がありますので、仕事の話から中長期的な人生観の話までいろいろなことを話合っています。妻は文系で、僕は理系なので対極にあるのですが、冷静な、たまには冷ややかな意見を違う視点からもらえるのも助かりますね。良い息抜きになります。
自信をもって新潟で戦って欲しい。
新潟の臨床研修の魅力をおしえてください。
南野:ひとつは、僕らが内科研修で経験した比較的ラフな研修が新潟では受けられるというところです。首都圏では研修医が多くて、その分患者さんが少ないですよね。上の先生もいっぱいいるので、研修医が実際に手を出せる機会が少ない。後期研修になっても同じ状況だと、方針決定が出来るようにならない。その結果、責任感がないので何も身につかない。臨床医学は、どれくらい冷や汗をかいたかで学んでいくところもあるので、実践的な研修が新潟では受けることが出来るという点が魅力ですね。一方で、シニアになったときの新潟の医療水準は高く、日本全国と十分戦えるので臨床という点では充実していると言えますね。また、研究の面においても新潟大学は、脳研究所を始め、いろんな研究施設があり優れた研究者もたくさんいらっしゃるので、世界とも戦うことが出来るということ。いつも学生には言うのですが卒業しても、母校だから、母校愛をもってがんばってほしいですね。新潟大学は非常に優秀な学生が多いので、自信をもって新潟で戦って欲しいと思います。
医師は素晴らしい仕事!
医師を目指す皆様へのメッセージをお願いします。
南野:医学というのは僕が学んできた学問の中で一番面白いし、深く、やりがいのある分野であると思います。頑張れば、頑張るほど社会貢献が出来るし、また学問的なアプローチからも社会に還元することが出来るし、多忙ではありますが、一定以上の報酬が得られる。選ぶ人生の道として、プライドを持って一生続けていける職業だと思います。
皆さんはまだ若く、近い未来のことしか見えてこない時もあり、大変なことや辛いことも多いと思います。しかし、中期的に見ると魅力的な職種なので、ぜひ頑張っていただきたいと思います。
(所属等は執筆時現在です。)